懐島かいわい (5)
茅ヶ崎の「タゲリ米」を生産されている田んぼに隣接して、
「懐島山(かいとうざん)の碑」があります。
西久保の茅ヶ崎・養護学校からは、
北東へ200㍍ほどの畑の中です。
珍鳥のタゲリが越冬しておりました場所も、
すぐ近くに、あるのですが、
今は、新湘南バイパスと相模縦貫道の、
ジャンクションの大工事が行なわれていまして、
タゲリの姿は見られません。
懐島山の碑の建っている所に、
「えな塚」と、よばれる場所がありまして、
この塚については、次のような伝説があるのです。
源頼朝の側室、丹後の局は、頼朝の子を、
身ごもりますが、正妻の北条政子に知られ、
懐島城の大庭景義の居館に身を隠しました。
やがて、西久保の桜屋敷に移った丹後の局は、
男の子を生みました。
三郎と名付けられた、その子は、成長した後に、
島津の性を名乗り、九州の島津氏の祖となりました。
その三郎の「えな」(胎盤)を埋めた所が、
「えな塚」であると、いわれています。
【右サイドバーに、写真を掲出させていただきました。クリックして拡大写真で、
ご覧くださいませ。】
